2023年9月26日火曜日

小さき命を大事にしない世の中を悲しく思う

 先日、今年初の、日本の秋の味覚、サンマを食べた。

異様に小さい。普段の年のサンマの3分の1から2分の1くらいではないか。

福島事故の1,2年前に米国司法省に勤めていた統計学者ジェイ・グールド博士と、大気圏内核実験禁止を導いたピッツバーグ大学名誉教授アーネスト・スターングラスの著作を翻訳したことがある。

 小さなサンマを食べながら、その本にあった米国における低体重児の増加を思い出していた。

さらにサンマの漁獲高について、福島事故以前は34万トンもあったのだが、昨年はわずか1万8千トン、今年はさらに少なくなる見通し。すなわち、福島事故以来、20分の1以下近くに落ち込みつつあるのだ。

 福島原発事故は、放射性物質の放出が大量に太平洋に流れ出て、現在も流れつつあるので、「海のチェルノブイリ」と呼ばれている。 

原発事故があってもなくとも、常に放射性水素であるトリチウムやその他の放射性核種を放出している原発。原発に真っ向から科学的に反対する学者が、圧倒的に少数なのは何なのか。

このすべての人類、環境、生物の現在と将来の命に関わる問題を自分の仕事ではないと考えているのか。

かつて、反原発の作家で元翻訳家の広瀬隆が書いていたのだが、「原発が稼働し、排水が出されると、近隣の魚の卵が死ぬ」という論文を東電が委託して広瀬氏が翻訳したことがあるという。 

推進側は実は百も承知なのである。承知の上で、目先の利益や権力側の政治的思惑に沿い、マスコミを使い、真実でない情報を垂れ流している。

 その間に失われる、失われつつある膨大な小さき命を考えると悲しい。

人間だけが生きている地球ではないのに。

コロナ騒ぎにおける過剰な消毒液やワクチンの生産・廃棄でもぞっとしていた私であるが、普段、ドラッグストアに行っても、「これだけ多くの化学物質が環境中に放出されようとしているのか」と思うと、くらくらしてしまう私である。

私が若い時、英会話講師をしていたころに、合成界面活性剤の環境や人体への影響を憂慮し、研究や教育、執筆活動をされていた坂下栄博士のことを思い出す。命と環境を大事にする科学者であり、自分の言葉で、環境が壊されつつある発展途上国の人々にも伝えたい、と英語を習われていた偉大な人であった。 

死者も既に日本でも数千人単位で出ているワクチンについては、言わずもがなである。

日本は、経済もそうだが、それより根本的に、原発と地震(および火山の爆発)ワクチン接種で、命も環境も、消えいる運命にされてしまっているのではないか、と心底憂慮している。

かつて「今がもうかればよい。50年後、100年後にかたわが増えようが、白血病が増えようが、今がもうかればよいではないか」と言ったこと高木元敦賀市市長。戦慄を覚えるセリフだ。

権力が巨大で、自分が一人で何かを発信しても、もう間に合わないのかもしれないとも思う。またSNSも統制が効いていて、私のツイッターはもはや限られた人々の中でしか回らないように設定されている。

それでも発信はしていきたい。

記録を残すためであり、未来世代の人々やあらゆる類の命のために、大人として当たり前の責任であると思う。 


2023年9月27日

竹野内真理


 

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